青森の茅葺き民家

巨大な斧の様な下北半島と盾の様な津軽半島をかざして本州の最北を守る青森県は
太平洋と日本海双方の影響を受けて生活、 特に農業にはかなり厳しい環境であった。

高緯度の為寒気の影響は共に受けているが、シベリア寒気で風と吹雪は強いが春から夏 気温が安定し穏やかな津軽地方と雪は少ないが太平洋からの気候がもたらす「やませ」に度々襲われる下北半島側は民家の造りを見ても経済格差があった事が歴然として見られた。

津軽地方は江戸期に藩の悪政に苦しんだと言われるが、近代では米、果樹が豊である為か民家の敷地はゆったりして、家屋は大型で内厩(うちまや)形式の寄せ棟、直家(すごや)であった。 外見的には内厩が変化したと思われる、出入り口に中門の様な張り出しがあり二重戸になっている。棟は桧、栗材を用いた本棟で左右にピンと張った「ハッポ」と呼ばれる煙出し木小屋は見事な美しさである。

下北半島側、陸奥、尻屋崎から十和田湖の西、三戸、田子町方面は津軽とは違ったシンプルな寄棟造りで、棟の造りは私の見た限りでは全て草木を植えた「くれぐし」であった。特に半島北部では大型民家が多く( 昭和50年頃)岩手方面に広く在ったいわゆる「南部の曲り家」形式の民家は青森では全く見られなかった。


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北津軽郡 小泊村  1975-9

尊敬する向井潤吉画伯の描いた小泊をイメージして来たがこの当時既に面影は無かった。
激しい風と雪に耐えた町外れのこの一軒だけが茅葺き民家で他は全てトタン葺きであった。 流木と思われる様ざまな形のまるで白骨の様な材木で囲まれていた。

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西津軽郡 木造町  1979-9

津軽半島の西側 稲垣村、木造町、鶴田町は米作地帯で広い田んぼが 岩木山まで続き散居村風に屋敷林に囲まれた民家のある風景は見事である。

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西津軽郡 鶴田町  1979-9

車力村 稲垣村 木造町には軒の高い寄棟の直家(すごや)が多 く見られた。屋敷構えは大きく屋敷林を持ち前庭(つぼ)に野菜果樹等を植えていた、 風雪除けの中門風出入り口、綺麗に並んだ化粧貫きで飾られた軒下の白壁が美しい、 板葺きの本ぐしの棟に載った煙出し木小屋はこの地方独特の物で「ハッポ」と呼ばれている。

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北津軽郡 中里町  1975-9

ピンと張った「ハッポ」の先端はまるで大空に羽ば たく鳥の羽の様で各家でその美しさを競っていた。

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下北郡 東通村  1977-5

下北半島の太平洋側は津軽とは全く異なり大畑町 東通村 三戸方面では 私の見た限り軒の低い大型の直家(すごや)で平野部では山村部より更に大型の民家があった。

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下北郡 東通村  1977-5

下北半島では曲がり屋形式の民家は全く見なかったが津軽では大正期に 消滅したと言われる曲がり屋の変化である外厩のある民家があった。