福島の茅葺き民家


県の東部「浜通り」、中央部「中通り」、西部「会津地方」では 民家の形に大きな違いは無く殆ど寄棟の直家でした、 然し各地方の気候に 合わせそれぞれの特徴を持って居るのが面白く、太平洋側の中山間部的な、 なだらかな岡の様な地形が続く「浜通り」では岡を背に棟高の余り高くない 寄棟の優しい姿の民家でした。
中央部の「中通り」では昭和の初期まで養蚕が盛んだった様で、棟の高い大型の 直家になって居ますが、採光、通風の為の様々な工夫が見られ民家探訪する者には 興味をそそられました。伊達・信夫・安達地区では富士川流域に類似した「あずまや」と呼ばれる妻側を改造した兜屋根形式の民家を見ました。
「会津地方」は山間部での生活はかなり厳しかった様で、会津の大名が参勤交代に使った 日光街道以北では小型でシンプルな寄棟の民家が多く、越後寄りの沼田街道では関東風の 兜造りの曲り部を持った民家を見ました。

  
fukushi-a-1

東白川郡 塙町 (1999.9)

東北道に沿った白川、郡山、福島の県 中央部では昭和の初期まで養蚕が盛で、民家の規模が大型化しましたが、 殆ど寄棟の直家で他地方の様に特別な形の変化は見られませんでした。

fukushi-a-2

伊達郡 霊山町 (1976.6)

福島市周辺や伊達郡は四季を通じて 色々な果物の産地であり、私の考えていた林檎の木越し茅葺き民家の構図が青森より 先に撮れてしまいました。総二階で前後に開口部のある養蚕農家。

fukushi-a-3

南会津郡 下郷町 (1969.10)

大内宿、昭和44年の映像です、現在の 見世物小屋の様な悲しい姿は全く有りません。本物の宿場がまだ残っていました。 せめてあの醜い喧騒は裏通りでやって欲しいものです。

fukushi-a-3

南会津郡 只見町 (1985.5)

福島では珍しい曲がり屋の民家、曲がり部分が 関東の兜造り、秋田の中門風になっているのが面白と思いました。