岐阜の茅葺き民家


 岐阜、愛知の濃尾平野は余り記録することが出来ませんでした。五箇山、白川郷には 1968年頃から入りました、民家に興味を持つ者なら誰でも憧れる堂々とした合掌造り の実物みたさに冬季通行止め解除の日に乗用車では無理な道を落石を手で退けながら御母 衣ダムを越えたのは忘れられません。
 江戸期には北陸系の寄棟が主流でしたが中頃から盛んになった養蚕の為人手の必要か ら大型合掌造り民家が誕生しました。農地の乏しい白川では農地と労働力確保の為三 層四層と大型化してきました。長男以外の結婚は許されず、分家は認めない大家族主 義で長男以外の男子は他家の女子の所へかよう通い婚(妻問い)で生まれた子供は労 働力として大切に育てられたそうです。
 冬季になると豪雪、雪崩で陸の孤島になった為罪を犯した藩士の流刑地になったり、 秘境で外部に秘密が漏れないのを利して床下に稗、蓬、蚕糞、人尿を撒いて煙硝土か ら火薬原料を作っていた事もあったそうです。
 飛騨の匠と言う言葉が有りますがここ白川では数百人の農民が集まって自然石の礎石の 上に一階を作り合掌を組んで三層から五層に及ぶ大型民家を造り上げたその技術力と造 形美には全く感服します。
 県北部 飛騨地方は江戸時代から「神岡鉱山」として知られその奥の茂住鉱山などの仕送り 人が往来する越中東街道沿いにその用に作られた大型民家が有りました、江戸末期から明治 になり養蚕業が盛んになり、採光、通風の為妻部が改良され色々な民家が造られました。
 しかし一般庶民の家は殆ど「石置き屋根」だった様です、(飛騨の郷資料による)  

     
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大野郡氏白川村萩町 (1968.5)

    白川郷へ始めて入った時の作品です 朝霧に霞む白山を見た時は感激しました。

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大野郡氏白川村萩町 (1996.10)

   展望台からの一望。

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大野郡氏白川村萩町 (2000.5)

    展望台の反対側の山の中腹から民家村 を望んだカット。

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大野郡氏白川村萩町 (1976.1)

    京都美山町に雪が降ったよ、の電話で  飛んで行ったが雪は無し、すぐにトン ボ帰りで白川郷に入った、白鳥への高 速道路が無かった頃でハードでした。

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吉真家 飛騨市河合町角川
(現在.飛騨の郷) (2012.7)

    安政5年マグニチュウド7を越えた角川地震にも 耐えたと言われる頑強な建物で柱、桁、梁など飛騨 の一部だけに見られる見事な物で一見の価値ある 民家です。

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富田家 飛騨市神岡町杉山
(現在.飛騨の郷)(2012.7)

   富山と飛騨を結ぶ越中東街道にあり神岡、茂住鉱山 仕送りとして荷物や牛馬の中継をしていた富田家は 養蚕業に拘らなかった為間取りや破風の形が他家と 異なるのが分かります。

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道上家 飛騨市宮川町加賀沢 (現在.飛騨の郷)(2012.7)

    飛騨の最北部越中(富山)との国境、養蚕の為に妻側 が兜になっています、富山の山田地区(うぐいす造り) にも見られますが近隣の長野、甲斐風でなく関東の様式? になっているのに興味をそそられました。

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高山市立 飛騨の郷 (2012.7)

    白川村の観光客の大混雑 土産屋の乱立 世界遺産とは何なのか? と疑問わ感じる方にゆっくり世界遺産を味わえる所です。