群馬・栃木の茅葺き民家


江戸末期から明治に盛んになった養蚕業は農家に経済的に余裕をもたらせ、その必要に合わせて様々な工夫と改良がなされました、とくに群馬地方は火山台地で水はけが良く桑の栽培に適し全国最大の産地になり、養蚕技術も進歩し様々な民家の改良がなされ、保温、通風、採光のため屋根の一部を切り落とし、さらに「セガイ造り」にした「赤城型」民家形式が生まれました。
寄棟の平側屋根中の煙出しを広げた小さな開口部が切り落としになり、広がってセガイ造り(出梁で桁を支えた造り)、さらに全面の総切り総二階に変化して各地に広がっていきました。

  
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群馬県 前橋市 小坂子町 (1974.1)

切り落とし屋根の見本の様な大型民家

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群馬県 水上町 青木沢  (1974.7)

  戦後盛んに行われ民家の調査、研究では 関東各に地多数有ったとされている「くれぐし」の民家は 私の撮影した1970頃にはすっかり 姿を消し、 やっと記録出来た一枚。

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栃木県 河内町 下岡本   (1997.6)

  那須高原から南に広がる県内では、広い敷地 に屋敷林を構えた民家が点在していました。

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 栃木県 益子町 大沢   (1978.2)

群馬、埼玉、千葉では余り見ない筑波流と 思われる見事な竹簀巻きの棟仕舞いの民家 をこの付近で多数見ました。