北海道の茅葺き民家
     

人が雨をしのぎ、寒さから守る為に周囲の自然の材料を利用して生活の場を囲うのは世界中何処でも同じ発想で有った。 草木の葉、木、枝、平らな石、動物の皮等いろいろ用いられたが、日本では簡単にしかも大量に入手出きる自然の材料、 繊維が長く硬くて丈夫な、葦や萱が主流になった。
明治維新以後、敗れた東北の幕府方大名の家臣達が開拓民として移住し、それぞれの地方の特徴ある建て方に 北海道の厳寒対策を加えた、他の地方に無い独特の民家が出来た。 土地の人たちは棟の形、妻、煙出しの形から津軽衆、秋田衆、南部衆の大工が建てたと区別していた。
貞享二年(1675年)北海道で始めて米が作られたと云われる「文月」のある函館七飯町は、 北前船による日本海交易が盛んに行われた幕末、松前城と良港函館の間にあり、早くから米作が普及した所為か 豊かな民家が有り、昭和五十五年頃まで北海道の特徴を残す茅葺き民家があった。
他で余り見られない特徴として、通常棟の上部中央にある煙出しが無い(後年立てられた豪農の家は別) 入り口の二重戸が中門の様に突き出ている。近年になってからと思われるがサイロ、燃料のドラム缶、長い煙突と梯子が各民家に見られた。
北海道の先住民アイヌの人たちの草葺の民家は観光に訪れた方達にはお馴染みの住居の姿である。
北海道に付いては私の間違った先入観で、明治維新以後の開拓者達の厳しい生活環境ゆえ建築資材等から百年たった現在では、 もはや存在していないと思い取材が遅れ、やっと得た情報で撮影出来た十数軒のみ、7年後に再び訪れた時にはもう撮影する価値が無い程変っていた。

           
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北海道の先住民アイヌの人たちの草葺の 民家は観光に訪れ方達にはお馴染みの住居の姿である。

阿寒湖畔のアイヌ村1985年頃

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函館市内から7〜8キロの亀田郡七飯町とその周辺には 1980年頃まだ北海道らしい姿の民家が残っていた、 屋根の形は寄棟が多かったが、寒さ対策の二十扉の入り口 雪囲いの様に薪を積み上げた家を多く見た。

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函館周辺の民家の特徴を出した民家、 二重扉、長い煙突と梯子、 燃料のドラム缶、 入り口のカーブは中門風、 秋田衆の仕事か?

hk-4 板棟の棟仕舞いは津軽衆の仕事か?