石川・富山の茅葺き民家


石 川

北前舟による日本海交易は蒸気船と鉄道の出現で終わりましたが、長い歴史に風待ち湊として栄えた 日本海沿岸や能登半島の各所には情緒ある町家や豪華な民家が有りました。 特に能登半島先端部には五百年来の上げ浜塩田、冬季日本海の荒波が作る「波の花」や、烈風が虎落笛 (もがりぶえ)となって聞こえて来そうな間垣(柴垣)に囲まれた民家が特異でした。

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珠洲市清水町  (1968.5)

約500年前から続いた塩造り、揚げ浜塩田と呼ばれ,海水を砂の上に何回も撒き、塩が濃く付着した砂を釜で煮て塩分を取り出します。

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珠洲市高屋町  (1968.5)

半島西側の先端部の集落は高くて頑丈な柴垣に囲まれていました。

富 山

富山の民家形式は島根県揖斐川周辺の「築地松」、関東利根川周辺の「屋敷林」宮城北上川周辺の「いぐね」と同じ 散居村形式「かいにょ」の森にに守られた民家です、砺波平野の水田に広く点在する民家の姿は独特の美しさです。
県西部金澤寄りでは豊かな農業、豊富な水産業、それにかつての北前船による日本海交易の繁栄の名残 か豪壮な寄せ棟造りの民家が有りました、東部立山方面の山間部で他県では域内では同一形式の民家が 多いのですが寄せ棟、入母屋、兜、切り妻等が混在して居たのが面白く感じました。
43年5月五箇山、平村菅沼を訪れた時は道路を横切って流れる雪解け水の流れを渡ったり、雪庇 の様な雪のトンネルで落石を退けながらやっと辿り着き、「ようきた、ようきた」と村人に歓迎さ れましたが、平成になり何回目かに訪れたときはすっかり観光地になっていました。

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平村菅沼     (1968.5)

富山側、菅沼の合掌造りは基本的には岐阜側と同じですが、全体として小振りです、その代わり静かな佇まいは魅力的でした。

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平村相倉     (2000.5)

城端から細尾峠を経て合掌造りを訪ねるルートに在る相倉は本道から少し外れた所の為手付かずの状況が残され良い雰囲気です。

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砺波市    (2012.7)

高岡市から富山市、砺波市にかけて広がる豊穣な田園地帯
日本の豊かな農村の典型的な風景。

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佐伯家 高岡市福岡町     (2012.7)

明和4年(1767)に建てられた北陸地方の大庄屋の典型的な建物。

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武田家 高岡市太田    (2012.7)

武田信玄の弟逍遙軒信綱の末裔と伝えられる旧家で間口奥行きとも十間 の大規模住宅。

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浮田家 富山市太田南町    (2012.7)

加賀藩から奥山絵図方、山廻りを兼帯し千五百石の格式有る住宅、
富山地方の特徴として当家も母屋は茅葺きですが軒廻りは板葺きで丸い石が 乗せて有ります。