神奈川の茅葺き民家


神奈川の茅葺き民家も関東の他地域と同様大きな特徴は有りませんでした、殆どが寄棟、直家で起伏の多い土地柄の為か屋敷林は余り無く、地元では「やと」と呼ばれる岡の谷部に建てられた家を多く見ました。 温暖な気候でかなり養蚕は普及していましたが、建築様式に余り変化は無く、赤城型、兜造り等の影響は見られず、棟が非常に長い横長の寄棟の家が特徴でした。  横浜付近では独立した二階建てで大きな煙出し風の換気屋根を持った「蚕小屋」と呼ばれる茅葺き建物を見ました、写真の小屋はもう在りませんが、市の文化財「横溝屋敷」内に一軒現存しています。 県の南部、三浦半島の先端部で南方民族系の様な分棟型の民家を何軒か見ました、 北部甲州寄り道志川沿いには兜造りの民家が在ったと研究者の記録に有りますが撮り逃しました。

  
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神奈川区八反橋  (1979.11)

横浜、相模では豪農の家を含んで
殆ど寄棟、直家のシンプルな形で、
棟の瓦は東京と同じ丸瓦5枚でした。 、

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 緑区中山  (1973.12)

  養蚕の通風、換気としては疑問ですが、 この様に横に長い造りが、大山街道と 甲州、上州から絹を運ぶシルク・ロード と言われた八王子街道の交わる横浜北部の 中山地区にありました。

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神奈川区小机  (1979.6)

一見煙出しの異様に大きい総二階の家
の様ですが、養蚕作業専門の「蚕小屋」
横浜地区で多く見ました。

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三浦市金田  (1974.3)

母屋、釜屋、作業小屋、納屋幾棟にも 分かれた、分棟型を思わせる民家、 三浦半島の先端、三崎町で。