宮城の茅葺き民家


県の太平洋寄りでは1970年代後半には既に開発、観光化が進んで撮影出来ず不明だが、 全般として大きな特徴はなく大型の直家寄棟で、平野北部の鳴子地域では母屋と厩を 曲げずに繋いで「落ち棟」にした家を多く見た。
またこの地域と福島の浜通りでは 「曲がり屋」風の家を見ることはなかった。
県の北と南の地域で特徴ある民家を見ることが出来た。

北の気仙沼地区では棟に神輿の様な巨大な煙出し木小屋を載せ美しい曲線の破風と共に威容を誇っていた。
「やぐらはふ」「半やぐら」と呼ばれ財力、権力の象徴と言われている。また昔は秋田の中門造りと 同様に本家、分家、名子分家で櫓の大きさ、又は櫓無し、と分かれていたそうである。

「やぐらはふ」の分布は旧県政の水沢県であった気仙沼、岩手県室根村等に集中していた。 長野県北安曇郡の犀川沿いの集落で同じような巨大「櫓ハフ」を記録したことがある。 県の南福島県寄りには会津藩以外の奥州の大名たちが利用し物流の動脈であった。

七ケ宿街道沿いに当時の宿場の姿を残す本陣後や現在ダムに沈んでしまったが街道の面影を留める 民家があった。




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気仙沼市内 (1998.8)

巨大な神輿の様な煙出し小屋が如何して限られた地域だけに生まれたのか不思議である。 土地の方に聞いて見たが解からないそうで、中には味気無い意見もあった。

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玉造郡 鳴子町 (1980.10)

仙台平野の周辺部鳴子、栗駒の民家は殆ど寄棟の直家で、 広々とした豊かな田んぼの先に美しい姿を見せていた。

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玉造郡 鳴子町 (1980.10)

大型の寄棟、直家と厩を縦に落ち棟で繋いだ 形の民家を各地で見た。

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刈田郡 七ケ宿町(1975.9)

1975年(昭和50年)頃既に宿場の面影はすっかり 失われていたが、僅かに本陣の姿を残していた一軒。