長野の茅葺き民家


太古より京から北の往来は海岸沿いではなく山間部を通って居たようです、日本海側の親不知の危険や富士川、大井川など降雨時の渡河が難しかった為ではなかったかと思われます、「川止め」は江戸期まで続いていました。自然の必要性から中山道、甲州街道、木曾街道、北国街道、秋葉街道、伊那街道、千国街道など多くの街道が長野県内を通って東西南北へ走り、人、物の交流が盛んで他国の文化や情報が多く入り影響を受けた様です。
民家の形も長野として特別な形式は無く各街道毎に様々な形をしていました、特に他に無い形としては茅葺き民家では有りませんが、本棟造りと呼ばれる諏訪、塩尻、木曾街道、秋葉街道の杉、檜の薄皮で葺いた石置き屋根大屋根があります。 甲州街道では甲州風の「押し上げ二階」等は無くなり切妻を思はせる大きな入母屋、中仙道、塩の道白馬方面では上州流れを感じさせる総切り、片流れ、松本では寄棟が多く、豪雪地帯の北国街道(飯山方面)では屋根面積を小さくした二階造りや中門造りの新潟に似た形になっていました。

  
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小谷村坪の沢   (1986.5)

姫川の激流に沿った千国街道(塩の道) 最後の峠(後は松本への下り坂)牛方宿の 有る千国を過ぎると大型の寄棟で平側を 大きく開いた総開きの民家が並んで居ま した。 、

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 北安曇郡八坂村   (1974.12)

  善光寺平から松本への篠ノ井街道では概ね 大型の寄棟でした、何故か此の集落だけに 巨大な煙出し(櫓破風)の民家が数軒あった のが不思議でした、私の知る限りでは宮城県 気仙沼周辺と此処だけです。

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栄村坪野    (1996.7)

日本一の積雪地帯北国街道(飯山方面)豪雪 に備えて、屋根面積の小さい二階造り、入り口 を鍵型にした中門と新潟に似た造りでした。

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塩尻市内    (1973.9)

諏訪湖、塩尻から高遠、駒ヶ根の秋葉街道、木曾 福島、妻籠の木曾街道に多く。「雀おどり」と 呼ばれる棟端飾りが良く映えます。