奈良の茅葺き民家


名神高速がやっと出来た1965年頃私がまだ民家の撮影を本格的にやってない時代、高速から奈良市にかけて,大和棟塀造りの民家は幾らでも見ることが出来ました、万博の数年後1975年頃には平地部では殆ど姿を見ることは出来なくなってしまい,消滅の早さ驚かされました。 民衆の時代を見る早さ、景気不景気による変動は、何時の時代に於いても変わらないようです。
奈良の民家撮影するに当たり、戦後急に盛り上がった日本民家の研究、探索、探訪など諸先生方の書物を拝見すると奈良の民家の特徴であり主流は高塀造りの大和棟になっていますが、最近インターネット上で見ると奈良の民家は寄せ棟又は入母屋になっており、ごく最近まであった高塀造り大和棟は無くなっています、疑問に思い郡山市民族公園民家村を訪ねて見ましたが場内の説明板によると殆どの家が昭和50年頃解体移築される前は大和棟だったようです。
同じ日、現在でも大和棟住宅を守って居る重文民家二軒をお尋ねしてお話を聞き古文書を拝見させて頂きました、両家とも築300年以上ですが250年前、明和の年代頃に入母屋から大和棟に改築され現在に至っているそうです。

  
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室生村 上笠間  1979.7 

    上、下笠間には特に美しい高塀造りが集中し 十分な引き場と雑物の無い環境が何回も足を 運ばせました。

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榛原町 黒岩 1979.7    

   高塀造りの主屋と落ち棟の形が良く分かる 家が密集した集落。

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都祁村 相川 1976.9

三重県に近い都祁村で同じ敷地に丹波風 な端正な民家と三重、滋賀風の優しい線 の箱棟民家が並ぶ珍しい風景。    

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室生村 深野 1951.1 

    坂を下ると三重名張市、奈良の山間部は 殆ど入母屋でした、此の民家を此のアングル から20年近く定点撮影しました。