新潟の茅葺き民家


新聞、TVの天気予報を日頃見ていると、新潟地方の気候がかなり荒いのが良く 分かります、厳冬の日本海の嵐は良く知る処ですが、冬の豪雪、夏のフェーン現 象による高温、度々来る台風は関東よりずっと多い、其の上地震、山間部の地滑 り等と昔から天災に苦しめられて来た人々の住まいに対する工夫の様々な知恵、 努力の跡を新潟では数多く見る事が出来ました。
下越、中越の穀倉地帯の大農、豪農の家は余り興味無く時間を割きませんでした ので中越の山間部十日町、津南町、松之山が中心になりました。
初めて山古志村や周辺に来た1969年代には最近よく見る中国雲南省の棚田の 「耕して天に至る」を思はせる風景が各所に有りました、近年の地震で山古 志村から多くの方が離村されたそうですが、戦後昭和30年頃から始まった 地滑りにより松之山周辺から多くの集落が無くなりました
全てでは有りませんが殆どの家は豪雪に備えて屋根の面積を小さくした総二階 の寄棟か鍵屋造り、一階に作業場、穀物道具置き場、二階部分に積雪時の出入 り口が有るのが目立ちます、又急な斜面に張り付く様に建って居るのは,他の地 方の様に土地の有効利用の為崖上に来たのでは無く屋根や周囲に積もった雪を 崖から落とし易くする為で、平地の家の傍らに池が在るのは屋根から落とした 雪を溶かす為だそうです。

  
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北魚沼郡守門村   (1969・5)

江戸末期から明治に干拓や米作技術の進歩により 潤った東北の穀倉地帯に幾つもの豪農が生まれました、 その一つのこの家は巨大な寄棟造りの中央に秋田風 とは違った中門が付いていました。 、

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  松之山町中立山 (1979・5)

  日本有数の豪雪地の松之山では若木が雪の重さで 根元から倒されてしまいます、強い木だけが逞し く逆境の中から生きて行きます。

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十日町市名ヶ山   (1975・5)

下手の中門造りと言うより鍵型と言うような 家を各所で見ました、湯沢、石打がスキー ブームに沸いた昭和50年頃すぐ後ろの山に 此の家は有りました。

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松之山町中原   (1977・4)

松之山や周辺の豪雪地域での典型的な形の民家です。