岡山の茅葺き民家


消滅が早く消えて行く民家の速さと競争の様に記録していた頃で、探して歩く時間が無く少しでも在りそうな姫新線以北の山間部になり瀬戸内海沿い平野部の記録は残念ながら出来ませんでした。 広島、山口とも瀬戸内海沿岸の民家は小規模が多いですが山間部に入ると中国山脈各県共通で民家が大型になって来る様です、低い軒、土の塗り壁、江戸期にはかなり気温が低くかったのではないかと想像されます、津山の奥、人形峠方面奥津、斎原では千木や「カラスオドシ」を9本以上並べた家を多く見ました。 京都から兵庫まで多数派で有った入母屋が岡山では少数派、、広島では僅か、山口では殆ど見ませんでした。

     
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新見市布原  1971-8 

    SL-D51の三重連の姿を撮りに行った際出会った 家です、広島に近くなり寄せ棟、箱棟になって居ました。

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鏡野町越畑  1974-10    

   見事な「カラスオドシ」を求めて人形峠目指して行った のですが中々出会えませんでした

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奥津町羽出  1975-6

新築する際何年も前から納得の行くまで探し回って 見事さを競ったと言われます。

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奥津町羽出  1975-6   

    葺き下ろした低い軒、手斧(ちょうな)造りの柱、 記念写真を撮ったお婆ちゃんの話では300年以上 古いとの話でしたが、納得

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加茂町物見  1975-6 

    鳥取県境の物見峠付近では中国山地に見る棟木数の多い 大型民家が集まって居ました。