大阪の茅葺き民家


東京、愛知と同様大都市周辺の茅葺き民家の消滅は早く僅かに記録出来たのは北部京都、兵庫の県境、と南部和歌山県境のみでした、双方とも「うまぎ・うまのり」を載せた入母屋でしたが、亀山寄りの能勢では丹波風置き千木、和歌山寄りの小深、滝畑では杉皮を巻いた「たぶさ」風な押さえで、瓦の箱棟も有りました。

  
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能勢町 天王  1979.7 

    丹波型ではなく、岡山から広島の山間部に見る カーブの有る「うまぎ」の数の多い造り。

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能勢町 天王  1979.7    

   同じ集落でも隣家は丹波型でした

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河内長野市 小深  2010.9

楠正成の千早城に近い山奥、棟は萱を杉皮で 巻いた「たぶさ」風になっていました。    

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河内長野市 滝畑  2010.9 

    妻入りで「だいどころ・くど」も妻側にある 民家で滝畑型とよばれる。