静岡・愛知の茅葺き民家


静岡

黒潮の流れが最も日本列島に近づく東海地方は温暖な気候に恵まれる所為か、厳しい気候の東北、 北陸、荒い気候の九州・四国或いは洒落た近畿の民家とは大分違った趣きがありました。 川島宙次先生の指摘される南方海洋系渡来民族を思わせる連棟、分棟の民家を探したのですが 出会う事は出来ませんでした。 撞木造りの民家を何軒か記録出来ましたが他の殆どは大型の寄棟造りでした。

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引佐町的場 (1999.5)

民宿の主に聞いて突然訪れたのですが快く撮らせてくれました、まだ活きている分棟型釜屋造り(撞木造り)の典型的な姿で興奮しました。

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土肥町新田 (1975.5)

  早くから観光地化した伊豆半島は茅葺き民家の消滅が早くやっと 取れた一枚、長屋門では無く大きな資材、道具置き場でした。

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湯ケ浄蓮寺島町 (2007.11)

県央部、半島とも寄せ棟の直家でした、 研ナオコさんの実家だそうです。

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駿河小山町金時 (2008.4)

  県境に近い小山町では神奈川県と同型の 寄せ棟出した、この家も翌月解体の予定。

愛知

愛知は残念ながら殆ど記録出来ませんでしたが、愛知、静岡浜名湖付近に広く分布した分棟型の釜屋造り(しゅもく造り)の民家を僅か記録することができました。 整型四間取りの主家と釜屋とでなった造りで、間を大木又は瓦で繋ぎ雨仕舞してあります、主家と釜屋の棟が直角になって、お寺の鐘と撞木に見立てられ呼ばれています。

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新城市黒田  (1999.5)

   浜名湖から静岡に掛けて沢山あった 南方系分棟方の民家はすっかり無くなって、やっと会えた重文民家

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浜松インター付近(1971.6)

  浜松インターの取り付け道路で撮りました