埼玉の茅葺き民家


西部の秩父山地から荒川沿いの平地で民家の形に大きな変化を見ることは有りませんでした。かつては一面にあった桑畑も撮影した1973年頃には大分少なくなって居りました。
養蚕民家は大型の家が多く、赤城型の「切り落とし屋根」が殆ど「総切り、二方切り」になり、関東北部で余り見られない箱棟を載せた堂々とした造りが多く、山間部では兜造りや寄棟型が混ざった造りを見ました。

  
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吉見町 古名 (1974.5)

県内各地で堂々とした大型の養蚕農家を 見ました、

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岩槻市 真福寺 (1978.4)

  何処の民家も同じ様に屋敷林に囲まれて いますがこの家の林は特に立派、長屋門 を持った格式有る民家。

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吉見村 今泉  (1975.1)

シュロの木一本千両?と言われシュロ箒 の生産が農家の収入の大きな助けになった 時代がかつて有ったと聞きました。

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飯能市 原市場 (1973.5)

秩父方面の山地では平野部では見られない 入母屋に総切りの民家を見ました。 馬頭観音は上州絹、甲斐絹が盛んに運ばれた 街道があったと思わせます。         

・・・次回更新をご期待ください・・・