山形の茅葺き民家


日本海沿い酒田、鶴岡と最上川を遡る庄内平野そして内陸の山形、 米沢で形式が変っていた。
私の走り見た限りでは酒田、鶴岡の日本海沿いでは新潟、 秋田につながる中門造りの民家、米と紅花で賑わった平野部では大型の直家寄棟、 福島宮城寄りの山間平野部では曲がり屋の部分が切り妻になった他所と違った曲がり屋形式を見た。

曲がり屋は岩手の南部地方が「南部の曲がり屋」として有名である。江戸初期佐竹候が東北に 転封された時伝えられたと言う説があるが(茨城県那珂川流域で撮影した事がある)その上流から 福島県北部では曲がり屋部分が寄せ棟、半寄棟(兜造り)、山形西部では切り妻、秋田では中門造り(?) そして南部に定着し青森では消えている。
私には解からないが撮影して気づいた事である。




  
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東田川郡 朝日村 (1973.5)

1960年頃までは山の斜面に折り重なる様に 建っていたと言われる兜造りの多層民家も 1970年中頃には数軒を残すのみになっていた。 現在は民宿になっている

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東置賜郡 川西町 (1999.8)

最上川の最上流山形市から米沢市にかけては、 豊かな米作地帯が広がり散居村風に屋敷林に 囲まれた様々な形の民家が有った。

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米沢市 戸長里 (1985.5)

米沢から会津への米沢街道沿いには まるで民家形式の美しい所だけを 「良い所取り」した様な綺麗な民家が並んでいた

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東置賜郡 川西町 (2000.8)

山形の曲がり屋の特徴である、曲がり屋 部分が切り妻になっている家、厩は無く住まい になっていた。