田中家住宅 町指定文化財  2010年10月


熊本県矢部町下市 通潤橋
九州の平野部と山間部の民家形式の違い、大袈裟に言えば海洋系渡来人と大陸系弥生人の住まいの違いが僅か十数キロ(矢部町-椎原)の距離で見る事が出来ました。
佐賀のくど造り、浮羽町の分棟造りと異なり、平行三棟造りで内部の構造が分りやすく、分棟型で常に疑問に感じる雨樋の構造や疑問が良く理解出来ます、また近くの駐車場で上部から俯瞰で三棟造りの形が見えるのは嬉しいです。 田中家は有名な観光地通潤橋の袂にある「道の駅」の資料館の奥にあり見落としがちですが町で丁寧に保存してあり貴重な存在です。

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左座家住宅  (村指定文化財)  2010年10月


熊本県八代郡泉村仁田尾
九州の平野部と山間部の民家形式の違いに興味を持ち双方の比較を求 めて紅葉の季節の混雑を避けて出かけて見ました、五家荘への道は話に 聞いた以上の凄い道ですれ違い困難な一車線のヘアーピンカーブが 10キロ以上続き山道好きの私でもかなりハードでした。
左座家は菅原道真の二人の子が藤原氏に追われて逃げ当地に住み付いたと言われます、車でも大変な山奥ですが限られ た敷地に部屋を横並びにするのではなく桁(けた)方向にも幅を持ち唐破風の玄関を構える格式ある造りです。国道からの石畳 の道は京都粟生光明寺の優しい石段の様に次第に見えて来る美しい屋根と真っ白な障子の縁に感動します。  

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緒方家住宅   (村指定文化財)  2010年10月


熊本県八代郡泉村椎原 
左座家から谷を隔て5キロの緒方家は藤原時代ではなく、壇ノ浦の戦に破れこの地に逃れた平清経を祖にする由緒ある 家柄と言われます。 建物は300年ほど前に建てられ左座家と同様何回か改築されて現在の形になっていますが、九州平野部の民家の形と は異なった形を保って居ます。
最近人吉市から五木村を経由して椎原へ来るバスが開通したとTVで報じられていましたので、人吉市方面からのアプ ローチが良いと思います。

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荒木家住宅 (国指定重要文化財)  


広島県比婆郡比和町大字森脇
荒木家を訪れたのは庄原渓谷が大水害に襲われた数週間前です、この日もどんよりと今にも雨の降りそうな暗い日でした。地図を頼りに県道から右折して細い村道を行くと元の県道へ出てしまった、何人の人に尋ねてもそんな家知らないとつれない話し、やっと軽トラックのおじさんに教えられたのはさっきの県道の側。
広島庄原から島根への中国山脈の深い谷間の集落、昔はさぞ難路であったと思はれる所に何故と感じさせる建物である、管理者不在で内部は拝見できませんでしたが、厚い土壁に囲まれ棟は杉皮を割り竹で抑えたこの地方の古民家に多い破風口に小さい入母屋でした。
特に変化の無い普通の民家ですが鳥居風な注連飾りの付いた冠木門が有り社家住宅で在ったのではと言われています。

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三上家住宅  (無指定)  


広島県双三郡作木村岡三淵  
中国山脈の奥、谷間のわずかに開けた土地の小高い岡に石垣で盛り上 げた屋敷はいかにも元武士の砦を偲ばせる構えです。1500年頃この 地に居を構え以来400年庄屋を務めた長い歴史の刻まれた主屋の重 厚さや広くは無いが良く手入れされた庭は山奥で有ることを忘れさ せます。
違和感があったのは棟が近年風の箱棟になっていた事です、昭和10 年頃から何回か改装されたそうで、高田郡甲田町の児玉家同様その時 期広島では何か好景気が有ったのではないかと推測されます。
三次から国道54号線を行って作木村岡三淵への入り口はサインも なく見落としがちです、そこから岡三淵までの数キロは対向車を交わ す場所が無い様な一車線の崖道ですから要注意。

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児玉家住宅  県指定重要文化財
 
広島県高田郡甲田町淺塚甲476-1


撮影予定の内一軒は9月には改修が終わる筈、もう一軒は10月から2年の予定で大改修と言われ、仕方なく 9月の末の一週間広島、山口へ出かけました。当日は高速道路で大きな事故があり道路閉鎖、やむを 得ず入った県道でHPに見たまだ生きている民家2軒に出会う事ができました。  高速高田インター方面からは右側の山陰で見失う恐れがありますが甲田町からは正面に見えます。隣接 する住まいのお婆ちゃんと色々話しましたが県が鍵を保管しているそうで内部は拝見出来ませんでした、 寄せ棟造りで箱棟が載せて有り、お話では昭和の初めまでは板で押さえた棟でしたが、昭和7年頃児玉家 でも改修したそうです。   お婆ちゃんが丹精して育てた花々が見事でした。



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県道37号で見た茅葺き民家


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堀江家住宅 (国指定重要文化財) 
 

広島県比婆郡高野町大字中門田字城山
建築時期は17世紀まで遡ると推定される重要な建物、閉鎖性の高い土壁、軒の深さ、自然木の曲がった柱、棟仕舞い等中国山地の気候やその変化を残す貴重な存在ですが、現状はご覧の通りの惨状です、文化財保護と言っても名目だけの地方行政の意識の低さに嘆かされます。

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高野町には個人町の誇りとして保存に努力されている方々の
見事な茅葺き民家が在ります。




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山中家住宅


  国指定重要文化財  (高知県いの町越裏門)
いの町は大きい、海岸近くから石槌山まであり越裏門(えりもん)は海抜700m四国のチベットと言われる高所に在ります。 大豊町の立川番所を撮影してナビをセットしてみると越裏門まで2時間30分どのコースを取ろうかなと思案したが何回か来たことのある早明浦湖沿いを行く事にしました、 早明浦湖は相変わらず水不足の様子、湖沿いの道はすっかり様変わりして大型バスがスイスイ、県境付近ではミキサー車の後に付いていたら80キロを越す始末でした。
でもそれは長沢支所のある所まで長沢ダム沿いに入ると一車線、小型のダンプ・ミキサー車が次から次、その度に当方は小型車崖いっぱいの道をバックして譲らなければならない、 50分以上掛けてダムを抜けると集落どころか家も無い、案内してあげると言はれた長沢支所に電話すると留守、代わりに出た女子事務員二人は文化財の存在など知らない聞いたことも無いの 一点張り、困って途方にくれていると、なぜかミニパトカー私の車の後ろに止まっているでは有りませんか、天の助け、案内するから付いてきなさいと言われたのですが、 それほど若くはないと思われるお巡りさんが細い山道を飛ばす飛ばす、山道の運転にはかなり自信のある私でも知らない崖のカーブ道には少々参りました。
山中家は無人 で管理人は居りません隣接する民家は何も関係無いそうでお話は聞けませんでした。 厳寒と急斜面で作物は「ヒエ、キビ」の為内部の造りは 平野部の農家とは大分異なります。棟の造りはこの付近では珍しい北陸地方に似た笄(こうがい)棟の様で目を惹かれました。



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本田家住宅



国指定重要文化財  (長崎市中里)  
長崎の民家を探すのには苦労しました、出会ったのは一軒のみ後は本田家だけでした。長崎道多良見インター降りてすぐ小型車でやっとの細い道の奥、後ろに山を背負った時代を感じさせるロケーションです。 明和年間(1764〜71)と言われる長崎最古の民家、シンプルな寄棟ですが周囲に「ももづき葺き」と呼ぶ茅葺きの錣(しころ)を廻した造りと兵庫の針目覆いを思わせる茅を束ねた棟押さえが目に付きました。



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細川家住宅 



国指定重要文化財 (香川県さぬき市多和)
県道3号を大窪寺方面へ向かって前山ダムを過ぎた山深い道の左側、少し離れた小道の上に細川家はあります。 江戸中期に建てられたと言われ柱は全て栗材のチヨウナ仕上げで年代を偲ばせます、開口部の少ない閉鎖的な 造りで「ツクダレ」と呼ばれる茅屋根と雪よけの土塗りの大壁は四国の山間部でよく見られる形です。



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三木家住宅



国指定重要文化財  (徳島県美馬市木屋平) 
 異常気象で大雨の続き九州と中国地方で災害が続いた7月、四国は余り荒れませんでしたが雨の合間の日、 四国に多い断崖沿いの細い道を走るのは山道走行大好き人間の私でもかなりハードでした。今回の旅で目的 の民家は美馬市の「うだつ」の町並みで有名な脇町から県道492を20数キロ入った祖谷渓方面へ向かう山の 中です。
よくこんな山の中に人が住んだな、などと思いながら走ったのですが到着して三木家の主、 三木信夫氏の土地に関する昔の人と現代の人間の感覚の違いの説明は霧に霞む現地で納得出来ました。
三木家は南北朝以前より続く山岳武士として大きな勢力を有し,また阿波忌部氏の直系として上古以来大嘗祭 に御衣御殿人として鹿服(あらたえ)を朝廷に貢進して来た家で平成の大嘗祭に関する資料など拝見するこ とが出来ます。



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