青森の民家

本州の北端陸奥湾を抱くように二つの半島を持つ青森、現在でも東北観光、太宰治で賑わう津軽半島、 原子力再利用で景気付く下北半島と違った顔を持っていますが、戦後すぐ迄は南部、津軽藩との対立構造 や気象の影響の違い、そのままに民家の形にはっきりとした差違が有りました、
津軽では広大な稲作地、リンゴ畑の中の大型で聰二階が多く、下北では大家族か?軒の低い大型寄せ棟 が多く有りました。俗に言う「南部の曲がり屋」は岩手県「戸」の付く町以北では見ることは有りませんでした。



ao-b-1 北津軽郡小泊村
1975-9
ao-b-2 北津軽郡車力村
1975-9
ao-b-3 西津軽郡木造町
1979-9
ao-b-4 西津軽郡鶴田町
1979-9

下北半島では寒立馬は見ましたか先端部側の集落は1977年頃すでにプレハブ住宅でした、 大畑町で茅葺きの漁師小屋に出会い、大間崎一周では何も発見出来ず恐山の宿坊で 誰も相客の居ない不気味な夜を過ごしました。

半島の付け根東通村には、曲がり屋では無く直家の内厩から変化した外厩が在りました。 十和田湖の裾、岩手県よりの三戸、田子町は山が深く谷寄りの南向きの山陰に寄棟の直家を数多く見ました。


ao-b-5 下北郡東通村
1977-5
ao-b-6 下北郡大畑町
1977-5
ao-b-7 三戸郡田子町
1975-9
ao-b-8 三戸郡田子町
1975-9