石川・富山の茅葺き民家

石川・富山の民家




石  川

 

加賀百万石の威勢と日本海交易隆盛で石川、能登半島には貴重な物産、遺跡は多く有りますが、民家 形式として余り特徴は無いようです。殆どが寄棟の直小屋形式でしたが半島の海岸部と山間部では冬 季の風対策と思われますがはっきり造りが異なっていました。

         
ishito-b-1  輪島市 下時国家 (1968.5)
ishito-b-2 珠洲町是久     (1968.5)
ishito-b-3 輪島市三井町   (2000.5)
ishito-b-4  柳田村当目     (1968.5)

富  山


 富山の茅葺き民家を語るには砺波平野の散居村から始めなければなりませんが、1968年頃高台から望んだ ところ私が見た限りでは茅葺きは一軒も無く全て黒い瓦葺きで撮影を諦めてしまいました。 改めて2012年ロングのみの取材に訪れた際、富山市民族民芸村の学芸員の方からご親切な指導と案内を頂き 貴重な民家を記録する事だ出来ました、また東部立山地区山田村等に全国でも珍しい寄せ棟、入母屋、兜、 切り妻が混在している所が有ったと言う事を知り1968年頃もっと深く富山を探訪しなかった事を残念に思っています。
高岡から城端を経て細尾峠を越えると日本の民家としては独特な形をした大型の切り妻造りの民家群 を見ることが出来ます、今日ではすっかり観光地化していますが、丁寧に保存されていますので一見 の価値はあります。富山側と岐阜側の合掌造りの外見は殆ど変わりませんが、私の見た限り岐阜の 4〜5層に対し富山側は3層の造りでした。 


ishito-b-5 平村菅沼  (1968.5)
ishito-b-6 平村菅沼  (1968.5)
ishito-b-7  平村相倉  (2000.5)
ishito-b-8  砺波市 (2012.7) 
ishito-b-9 富山市山田中村(2012.7)
  (現在.民族資料館内)   風の強い地区故に出来たのか?と言われる二重兜より複雑な「うぐいす造り」
ishito-b-10 富山市山田数納
  (現在.民族資料館内)  (2012.7)
ishito-b-11  富山市太田南町  (2012.7)