三重の茅葺き民家

三重の民家

関町で東海道から分かれ加太峠を越えた柘植の町の茅葺き民家は農家の造りでは無く 商家又は財を成した家が多いそうで、堂々とした構えでした。 伊賀街道を進んで名張を過ぎ赤目四十八滝では奈良風の切り妻、塀造りになっていました。
戦後盛んになった民家再見の記録書では三重は海岸部、志摩半島の漁村民家が多く山間部 の資料が殆ど無かったので、美杉村と言う名前だけで入った太郎生の集落で突然目の前に現 れた棚田の迫力に圧倒されました。

            
mie -b-1   上野市寺田 (1976-1)
mie-b-2 名張市上黒田 (1979-4)
mie-b-3   名張市赤目 (1975-4)
mie-b-4 美杉村太郎生 (1974-11)
mie-b-5 名張市上長瀬 (1975-9)

現代の様に機械、機材が無く資材も無 かった時代、日本人が考えた合理的な 暮らしの知恵、四万十川の「沈下橋」 は有名ですがこれは「流れ橋」、渡し板 の片方だけを留めて増水時流れに任せ、 収まればまた元に戻す見事なアイディア。
mie-b-6 美杉村太郎生 (1976-9) 
mie-b-7 美杉村太郎生 (1976-9)
mie-b-8 美杉村三多岐気 (2002-9)