宮城の民家

仙台市と周辺平野部の開発は東北では特に早く進んだ様で1970年代でも山沿いの鳴子、 栗駒以外撮影は困難でした。仙台から北へ漁村の茅葺き民家を訪ねて三陸方面へ何回か 旅したのですが無収穫、見事に撮り損ねました。
或る時民家のことで知り合った 気仙沼地区を長年記録し続けるS氏の労作を拝見してびっくり、海岸から僅か数キロの所に この様な民家資料として最高な家があるのに気づかなかった私の努力不足を反省させられました。
七ケ宿街道は尊敬し手本としている向井潤吉画伯の楢下宿をイメージして行ったのですが 1975年頃もはや面影は無く2007年の今なら別でしょうがカメラも出さず通りすぎました。



miyag-b-1 気仙沼市内  (1999.8)
11:13の津波時の火災で焼失しました。
miyag-b-2 気仙沼市内  (1999.8)
miyag-b-3 玉造郡 鳴子町 (1980.10)
miyag-b-4 玉造郡 鳴子町 (1980.10)
miyag-b-5 玉造郡 鳴子町 (1980.10)
miyag-b-6 玉造郡 鳴子町 (1980.10)
miyag-b-7  刈田郡 七ケ宿町(1975.9)
miyag-b-8  刈田郡 七ケ宿町(1975.9)